【風景の変化の兆し 身近な空間とそこへの関わり方の未来】

主旨

風景計画の体系化を目指し、造園の領域から考える風景の保全・創出のための計画手法や方法論に関連する研究・事例報告を行います。

■ テーマ
人口減少などの社会構造の大きな変化は、私たちの日常生活とそれが営まれる空間を少しずつ変え、身の回りの風景を変貌させつつある。
AIをはじめとする技術革新の進展や世界遺産などの法制度による枠組みは、情報と空間が組み合わさった新しい風景を生み出し、オリンピックや万博といった大きなイベントは、大都市の空間とそれに対する私たちの関わりを再編し、風景が刷新されようとしている。一方、地方では新しい空間や生業が求められ続け、長い年月をかけて育まれてきた風景は大きく失われようとしている。

さらには、今般のコロナ禍において、私たちは日常生活を大きることを強いられており、その結果として身の回りの風景も変わりつつある。今後はどのような生活と風景を取り戻していくのかが問われている。また、観光やレクリエーションを求めた利用者の集中は、皆が同じ風景を思い浮かべてしまうという選択肢の標準化という問題でもあり、各自が身近な風景を思い浮かべ、そこで自分たちなりの楽しみを見出せるような風景づくりについても考える必要があるのではないか。


このような先行きの見通しづらい状況のなかで、私たちはいかにして未来の風景を描くことができるだろうか?その方法は、いま、目の前にある空間とそこへの人々の関わり方の変化の兆し、そして、それらにより新たに生成されつつある風景を丁寧に捉えることなのではないだろうか。本フォーラムでは、このような風景の変化の兆しから、これからの風景計画のあり方を探りたい。


今回は、本サイトのコメント欄を使って意見交換を行います。個別の発表への質疑・意見は、各個別発表のコメント欄へ、総合的な質疑・意見は本ページ下部のコメント欄への記入をお願いします。


話題提供1
遠隔自然地を身近にするサイバーフォレストのライブ音・録音とサブスクリプションサービスの考察
斎藤馨(東京大学大学院新領域創成科学研究科自然環境学専攻)

話題提供2
風景とその認識の枠組み -近代からはずれるということ-
温井 亨(東北公益文科大学)

話題提供3
樹木葬の風景
上田裕文(北海道大学 メディア・コミュニケーション研究院)

“【風景の変化の兆し 身近な空間とそこへの関わり方の未来】” への8件の返信

  1. 総合的議論はこちらのコメント欄にお願いします。
    個別の発表へのコメントは、各個別のページにてお願いします。

  2. 工学院大学しのざわです。
    【風景の変化の兆し 身近な空間とそこへの関わり方の未来】という、今もっとも興味のあるテーマのミニフォーラムでした。発表も大変興味深く拝見しました。ありがとうございました。
    みなさんに以下のことについてお聞きしてみたいです。
     コロナは全世界的な流行は、風景そのものにではなく、風景を受容する我々主体側に大きな変化を与えたことは確実だと思います。ただその変化は共時的に生じてはいるものの、しかし風景の見え方はそれぞれ違っていると思います?日常に新たな価値を見出した人、人の集まる風景に懐かしさを感じ賑やかさを求める人、風景にはあまり変化を感じない人…。 さらに今、日常に感じている風景への感覚(違和感)は、容易に忘却され、新たな日常に馴化されてしまうのではないか?(私自身は東日本大震災の時と、見ている風景そのものは違うものの同じような「忘れていた」感覚が幾度か蘇ってきました…)
     こうした風景体験の差異や時間スケールを、本研究推進委員会が議論されている「計画」という言葉、時間軸に「載せる」とき、どのような注意や配慮、心がけが求められるのでしょうか?学術的な答えが欲しいというよりは、みなさんのお考えに興味があります。
    お時間がありましたらよろしくお願いいたします。

  3. 大阪府大の武田です。このミニフォーラムの企画者の一人です。

    篠沢先生、重要なご提起ありがとうございます。
    以下、計画への展開についての個人的な見解を述べさせていただきます。

    まずはご指摘の通り、「忘れてしまう」ことへの対応が必要ではないかと思います。
    いま、個々人の感覚は、与えられた状況や環境によって様ざまではあるとしても、それぞれに本質的な風景への対峙に満ちているのではないかと思われます。
    まずは、このような状況を風景を考える好機と捉え、個々人が感じる機微をできるだけ大切に記録することで、計画の材料をできるだけたくさん収集することが、「すぐに」求められるのではないかと思います。
    そういう意味において、今回のこのフォーラムも大変貴重な機会だと思います。

    しかし、このいまのムードの中で将来の望ましい姿を「計画」することが最適とは限りません。日々刻々と変わる状況のなかでの風景への希求は偏差が大きく、なかなか定まった方向を導きにくい状況だとも思います。
    加えて、これからの「計画」にはある一つの定まった像などなく、その時々に応じた動的な働きかけそのものの「計画」こそが大切になるようにも思います。
    そう考えると「計画」は、いま「すぐに」対応することではなく、長い時間のなかで継続的に「ずっと」対応し続けていくような姿勢なのではないかと思います。

    ということで、いまの風景への感覚をできるだけ記録しておく作業と、それを材料にその時々に必要な対応を計画に載せ続ける作業を併行して進めることが必要なのではないかと感じています。大切なことのひとつは、ある時間の一断面で判断せず、長い時間の変化を踏まえながら考えるということなのではないかと思います。

    ぜひ、皆さんのお考えもお伺いしたいです。

  4. 重昭先生、しのざわです。ありがとうございます。
    私もみなさんのお考えをお伺いしたいです!
    よろしくお願いいたします。

  5. 篠沢先生、筑波大の伊藤です。

    コメントありがとうございます。私自身は、空間と人の関わり方のあるべき姿を大まかに設定して、その方向性に沿ってちょっとずつ実現化させ、そのたびごとに、前述のあるべき姿を、方向性は変えずに見直していくことかな、と考えています。

    ですので、長期の大まかな方向性と、短期の理想像の設定が必要であり、それぞれの拠り所となった情報(風景体験や風景観等)を、捨て去るのではなくアーカイブ化していく作業も必要と考えています。

    今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

  6. 現在京都大学で研究員をしております、阿部美香と申します。突然のコメントを失礼いたします(前任校の専修大学で小林昭裕先生と懇談させていただく機会を頂戴し、小林先生が本ミニフォーラムをご紹介くださいました)。貴重な場に参加させていただけますことを感謝申し上げます。

    篠沢先生のご提起を拝読し、拙い意見で大変恐縮ですが、若干の考えを記させていただきたく存じます。

    今、「その場所がこうあってほしいという姿(風景)」を強く意識している人々が非常に沢山いる時であるように思います。
    言わずもがな、身近な空間での日常的な風景は本来、人とともにある(風景の中に人が存在している、また人々が相互に関わり合う風景がある)ことが大半ですが、「外出自粛(人との接触を避ける)」により、人と関わってこそ生まれる「それまでの日常の風景」が得られません。
    そのような状況下、各種報道やSNS等ではしばしば、「この場所は普段はこうなのに」という趣旨の発信が見られます。それは言い換えれば、「その場所らしさ」(多くは肯定される、その場所の風景の特徴)が、どう人々に捉えられているか(捉えられてきたか)の1つの指標となるものかと思います。
    それらを記録していくことは、人々の様々な営為とともにある各場所の風景の特質を考えていくことにつながり、意義あることと考えます(武田先生、伊藤先生が仰る「記録」や「アーカイブ」とも重なりますが、それらが重要であると私も思います)。

    オンラインであっても人や場所とつながりたい、しかしオンラインでのつながりが確保されたとしても、やはり実際にある場所へ行きたい、という人々の思いからは、やはり人は人ともに存在する風景を自身の五感で味わいたいものなのだと思わせられます。
    コンタクトツール等、大きく変化することがある中でも変化しないものがあり、両面を捉えながら風景計画がなされていくと良いのではと感じています。
    この非常事態(ウィルスの大流行)は数年内のものかもしれませんが、その後の風景計画へは、長期的に、今回人々が意識した「その場所の(殊に象徴的・本質的な)風景への思い」を加味していくこともまた重要なのではないかと思います。

    長々と拙い言葉の数々を大変失礼いたしました。今後とも、何卒よろしくお願い申し上げます。

    阿部美香

  7. 篠沢先生、コメントありがとうございます。

    風景計画は、空間(景観)と人との「関係性」を計画することだと思っていて、ある意味で、物的な空間や景観のみの計画と対比されるものだと思っています。
    その関係性には、風景の体験や、価値づけによる表象も含まれ、個人によって多様だし、また一方である程度社会で共有される枠組みもあると思います。だからこそ、人と空間や、人と人の関係性が変化する中で、他の先生がおっしゃっているように、風景を「アーカイブ化」したり「保存」したりする必要があるのだと思います。しかしそれだけでなく、風景計画では、新たな関係性を構築したり、少なくとも将来の多様な体験や価値づけの可能性を確保しておくことも求められるのではないでしょうか。
    例えば、東日本大震災後の防潮堤や集団移転の議論では、まさにそうした関係性としての風景が問われていたと思います。今回のようなオンラインやオンデマンドによる「ここ」や「いま」と切り離された風景体験が加速され一般化するとき、空間や時間の考え方も含めた新たな関係性についてもっと議論する必要があると思いました。
    実際、斎藤先生や温井先生のご発表はにそうした問題提起が含まれてい流ように思います。

  8. 篠沢先生,皆様

     ご多用のところコメントを頂きまして,有り難うございます。長崎大学の渡辺と申します。当方からは,私見として,以下の通りコメントさせて頂きます。

     今回のフォーラムは,ランドスケープ研究84巻1号の特集(変化の時代と都市・地域のランドスケープ)と同趣旨のものとなったように思われます。両者を拝読させて頂き,今回フォーラムで論じられていることと特集号において論じられていることは,類似性が高いと思いました。

     変化への適応に向けての風景・風景体験の「記録」及び「アーカイブ化」は,様々な主体の風景体験を反映した計画づくりや策定した計画の改善にとって,重要な活動と考えます。それに関連して当方が関係する事例では,歴史的景観が喪失する際に,デジタル測量等による「記録保存」がたびたび行われております。しかし先の事例のなかには,その記録が活用される機会が少なく,記録すること自体が目的化しているのではないかという事例が見受けられます。風景・風景体験の「記録」及び「アーカイブ化」を行う際には,その行為の目的と成果の活用方法の検討も重要ではないかと感じております。

     変化に適応する風景計画としては,共時・通時的に膨大な風景・風景体験が存在しており,それが蓄積されていくとの前提のもと,おおまかな目的を設定し,その目的の実現に向けてどのように進めるかの「プロセス」(例:場の設定や合意の進め方等)が大切ではないかと考えております。目的とプロセスは,目的を実現する手段としてのプロセスとより良いプロセスを実現させる駆動力(例:関係主体のモチベーションの向上等)としての目的といった点において,相互に補完する関係にあると考えております。おおまかな目的の具体化は,プロセスが進行するなかで,行えば良いと考えております。
     変化に適応する上では,武田先生がご指摘された通り,変化に伴い計画の再検討・変更が絶えず求められるとの前提のもと,「計画に関わる行為の継続」が重要と考えております。「計画に関わる行為の継続」には,継続に関与する人的資源が欠かせないと考えます。しかし当方が関係する事例のなかには,急激な人口減少・高齢化によって,継続が困難な事例がみられます。実は,大きな変化に直面しているそのような地域こそ,変化に適応する風景計画が特に必要な地域ではないかと考えております。
     
     変化の兆しに適応する風景計画に対しては,今回のご発表とともに,「完成がなくその後の手入れが重要」な対象を扱ってきた本学術分野のこれまでの知見が活かせるのではないかと思いました。

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